ウィキペディアなど、ネットで調べていたら、
徳川家康は双子だったらしい。
結城秀康と氷見貞愛、松平忠輝と松千代は、双子だった。
松平家では、双子は多産とみなされ、犬畜生に等しかった。
家康は、双子を忌み嫌った。
兄は出家させ、弟を我が子として渋々残した。
氷見は、30歳で亡くなった。
松千代も、早世した。
残った秀康と忠輝は、家康に嫌われているため、
初めて会うのが遅かった。
ところが、その家康も双子の弟だった。
家康が双子なのに、なぜに我が子が双子で産まれたら嫌うのだろうか。
何らかの企みが、あるのだろうか。
家康は、大坂夏の陣で討ち死にしている。
もしそこへ、家康の影武者が現れたらどうなるであろうか。
矢惣次という百姓と小笠原秀政が、体格的にも似ていた。
もう1人、影武者が連れてこられた。
恵最(えさい)という僧侶だ。
家康の双子らしい。
家康は、双子を影武者として利用したかった。
将来のその時にそなえ、家臣にも敵将にも秘匿していた。
家康が死んで、恵最が活躍する時が来た。
この日のために、恵最を隠してきたのだ。
しかしながら、影武者はいつまでも隠し通せない。
いつかは、何らかの形でバレる。
天ぷらを食わせて、恵最を食中毒で殺害した。
ヒソでも食材に入れて、殺害したかもしれない。
家康は双子だった。
ウソかまことか、それとも自分の妄想だろうか。