本能寺の変の犯人は信長だ①
本能寺の変をネットで、時系列で調べていくと、個人的な意見ですが、信長を殺した真犯人は信長自身ではないかと推理してしまった。
ただ、これは複雑に絡み合っているので、単純なものではない。信長は、想定外のことが起きて、結果的に自分に火の粉がふりかかってしまった。
光秀は、なぜ6月2日早朝に謀反の行動を起こしたのか? もし6月1日夕方から謀反を起こしていたら、どうなっていたのか?
6月1日夜、信長は天皇・公家を集めてお茶会を開いていた。その日に、光秀が本能寺を襲撃していたら、天皇・公家は全滅していただろう。天皇暗殺の黒幕は、信長だ。
信長が、家臣の中で最も信頼していたのが光秀だ。信長の命令で、光秀は行動した。天皇家を全滅させたあと、信長が天皇になろうとたくらんでいた。
だが、信長・光秀に誤算が起きた。信長はこの茶会で、関白(天皇を補佐する役職)・太政大臣(司法・立法・行政の長官)・征夷代将軍(蝦夷地の討伐隊長)のどれかを決めたはずだと思う。
信長が決めた役職は、天皇だ。天皇家を全滅させれば、信長が天下をとれる。だが光秀は、天皇暗殺を中止した。信長のこの計画に、逆らった。光秀は、6月1日の攻撃を中止して、2日の早朝に切り替えた。信長の暗殺だ。
茶会は、翌朝まで続かなかった。1日の夜に、茶会が終わりみな帰宅した。残されたのは、信長と30数名の下臣・侍女たちだ。信長はこの時、天皇暗殺の中止命令を光秀に出したかもしれない。
光秀に、中止の伝令が届くことなく、光秀は信長の命令を実行した。本能寺に、天皇・公家がまだ宴会をしていると思って、攻撃を仕掛けた。信長は、光秀に中止命令が届かなかったため、事情を詳しく知らない足軽たちに殺害されてしまった。
「時はいま 天が下しる 五月かな」by光秀。
時=土岐(明智一族)。天=天皇。天下=信長による統治。天下=信長に天罰が下る。
時=暦。外国人の来訪により、信長は太陽暦を採用しようと思案する。しかし、時(太陰暦)は天皇が握っていた。天皇の許可がないと、太陽暦への変更ができない。信長は、時を掌握するため、天皇になろうとする。
信長には、3職(関白・太政大臣・征夷代将軍)は興味がなかった。それは、嫡男・信忠に与えるつもりだった。
信長による天皇の暗殺計画を光秀が、阻止したのであった。本来なら光秀は、天皇家を救ったのだから英雄でないといけない。
その英雄を堕落させるようにワナを仕組んだのが、家康と秀吉であろう。
信長は、家康暗殺の機会を狙っていた。家康も、信長暗殺を思案していた。
6月1日の茶会には、家康も同席するはずだった。信長は、天皇・公家・家康暗殺を光秀に実行させる計画だった。本能寺で何かがあると察知した家康は、堺の町へ避難した。
家康は、信長以上にしたたかだった。光秀は、安土城で家康の接待役を任された。家康は、敵将を寝返りさせるのが得意だった。光秀も、家康のワナにはまり寝返った。
家康は、光秀に信長暗殺の話しを持ちかけた。6月2日、光秀は、足軽たちに家康暗殺の計画を告げてから、京都・本能寺へ向かう。実は、信長・信忠暗殺が目的だった。
信長暗殺を主目的とした場合、足軽たちは反乱を起こしていたであろう。ゆえに、家康暗殺と偽って光秀は京都へ向かった。
光秀の主要家臣は、信長・信忠暗殺を実行する。足軽たちは、恩賞を求めて家康のクビを狙った。家康は、自分が光秀下臣に狙われるとは思ってもいなかったであろう。家康にも、自分に火の粉が降ってくるとは、思わぬ誤算があった。
あくまでも、個人的な推理です。1ヵ月後には、犯人説は変わっているかもしれない。反論はあるでしょうが、受け付けません。
信長を殺害したい人は、大勢いた。誰にでも、動機がある。本能寺の変の2週間前頃からだろうか、信長を殺害したいほど憎しみにかられた人がいる。織田家の当主・信忠である。
その背後には、1人の女性がいた。続く…???