真田氏の家系図(最終回)
●番外編。真田昌幸の忍者
来福寺左京(こふくじ さきょう)
横谷左近(よこたに さこん)
禰津潜龍斎(ねず せんりゅうさい)
弟子・剣持喜右衛門けんもち きうえいもん。
弟子・五反田佐次衛門ごたんだ さじうえいもん。
●真田幸村の影武者
①穴山小助
②伊藤団右衛門継基
③三浦新兵衛国英
④鵤幸右衛門(いかるがゆきうえいもん)
⑤林源次郎寛高(ひろたか)
⑥山田舎人(とねり)
⑦木村助五郎公守(1574年~1615年)
⑧望月六朗兵衛
⑨禰津甚八(加賀前田家家臣、本多安房守に討たれる)
●伊藤団右衛門継基(もとつぐ)(1565年~1615年)
刀剣と乗馬の達人。影武者の中心人物。
1580年、真田昌幸に従い、16歳にて名胡桃城(なぐるみじょう)を攻略。
1585年、幸村が上杉景勝の人質となるとき、の乗馬衆5名(鵤・吉沢・伊藤)、足軽衆12名(矢沢頼康・林・坂本ら)が守り従う。
第一次上田合戦では、騎馬大将として小田原攻めを行う。
1600年関ケ原の合戦後、九度山へ赴くが、真田信之の上田で諜報活動を行う。
1615年、大坂夏の陣、徳川秀忠の本陣まで突き進む。
●三浦新兵衛国英(1561年~1615年)
1576年、沼田城の矢沢頼綱に従う。
1580年、真田幸昌に従う。上野国吾妻で過ごす。
1585年、幸村が上杉景勝の人質となるとき、乗馬衆5名(鵤・吉沢・伊藤)、足軽衆12名(矢沢頼康・林・坂本・三浦ら)が守り従う。
1589年、真田幸村に従う。小田原攻め。
1590年、真田幸村の大阪入りに従う。
1600年、真田父子に久度山へ付き添うが、上田へ戻る。
1615年、影武者として討ち死にする。
●鵤幸右衛門(いかるがゆきうえいもん)(1559年~1615年)
1575年、真田昌輝(昌幸の兄)に従い長篠合戦に参戦する。
1576年、矢沢頼綱(沼田城攻め)に従う。
1580年、真田昌幸(名胡桃城攻め)に従う。
1585年、幸村が上杉景勝の人質となるとき、乗馬衆5名(鵤・吉沢・伊藤)、足軽衆12名(矢沢頼康・林・坂本ら)が守り従う。
1589年、真田幸村(小田原攻め)に従う。
1590年、真田幸村の大阪入りに従う。
1600年、真田父子に久度山へ付き添うが、上田へ戻る。
1615年、影武者として討ち死にする。
●林源次郎寛高(ひろたか)(1563年~1615年)
林弾左衛門(だんざえいもん)(主君・真田昌輝・幸隆)
①林源次郎寛高(体格大。怪力豪傑)(幸村の護衛)
1578年、真田昌幸(上州攻め)に参戦、殿(しんがり)を務める。
(殿、部隊の最後尾で追ってを防ぐこと)
1579年、矢沢頼綱(尻高城攻め)に従う。
1580年、真田昌幸(名胡桃城攻め)に従う。
1585年、幸村が上杉景勝の人質となるとき、乗馬衆5名(鵤・吉沢・伊藤)、足軽衆12名(矢沢頼康・林・坂本ら)が守り従う。
1589年、真田幸村(小田原攻め。足軽大将)に従う。
1590年、真田幸村の大阪入りに従う。
1600年、真田父子に久度山へ付き添うが、上田へ戻る。
1615年、影武者として、徳川本陣にて討ち死にする。
●山田舎人正友宗(やまだ とねりのかみ ともむね)(吾妻忍者。情報伝達のプロ)
山田与惣兵衛直安(上野国山田城主)(主君・真田幸隆)(吾妻忍者)
①山田舎人正友宗(舎人=天皇皇族の近習。下級官人。従者・雑人ぞうにん)
山田舎人正友宗(幸村の影武者)
(舎人助とねりのすけ・舎人頭とねりのかみ・舎人監とねりのじょう?)
1585年、矢沢頼綱の下で、北条家に対し、上野国岩櫃城(いわびつじょう)を守る。
●木村助五郎公守(1574年~1615年)
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●坂本?