〇三好康長(?〜1585年?)(阿波国岩屋城主。兵庫県淡路市岩屋。瀬戸内海航路・明石海峡の重要な港湾として栄える)
1579年11月、四国統一を目論む長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)(元親の正室、斉藤利三の妹。利三の主君・明智光秀)に対抗するため、織田信長と手を組み、豊臣秀吉の甥・羽柴秀次(三好信吉)を養子として迎え入れる。
A説。三好政康が、清海入道とされています。
1582年、本能寺の変後、豊臣秀吉・羽柴秀次に馬廻り衆(護衛人)としてつかえたということから、真田幸村とつながった可能性があります。
三好長之 三好之長 三好頼澄 養子・三好政長?
三好勝時 三好政長 三好政康?
三好勝時(持勝)
①三好新五郎(早世)
②三好勝長
③三好政長 三好政康(政勝)
三好政長(養父・三好頼澄よりずみ?)(出家名・宗三そうざん)
①三好政成(三箇山ヶ城主。大阪府大東市三箇飯盛山城の支城。湿地帯に浮かぶ3つの島)
②三好政康(右衛門大輔政生) ③三好為三(みよしいさん)
娘(正室・池田信正。摂津国池田城主。大阪府池田氏)
池田長正
三好政康((1527年?~1615年5月28日?)
(出家名・釣竿斎宗渭ちょうかんさい そうい?)(88歳?)
(主君・豊臣秀頼)
正室?
子?
〇三好政康が、都市伝説として三好清海入道のモデルとされている。
三好為三(三好伊三入道?)(1536年〜1632年1月31日)
(摂津国榎並城主)(1600年、真田氏の第2次上田合戦に参戦する)
(出家名、一任斎為三まさとうさい いさん)
正室?
①三好可正(なりまさ)(養子?)
②三好長富(ながとみ)(養子?)
娘(正室・篠山資友ささやますけとも)
〇三好為三が、都市伝説により三好伊三入道のモデルとされている。
〇篠山大原氏。
大原蔵人頭景元(おおはらくろうどのかみかげもと)(笹山景助)
篠山資家
篠山理兵衛資家(甲賀53家)(伊勢国代官職)
①篠山彦十郎景尚 篠山景季(旗本)
②篠山理兵衛資友(資盛)
正室・三好伊三の娘 旗本として子孫が存続する。
●三好清海入道=大島(三好)親崇説
木下氏(尾張国犬山城主)
木下弥助(正室・日秀尼) 羽柴秀次
妹(木下殿)(正室・三好親崇) お国
木下殿
正室・三好親崇(みよしちかたか。大島新左衛門。三好清海入道?)
お国(側室・羽柴秀次) 子供なし
●三好清海入道=隆清院説(りゅうせいいんお宮の方)
三好長延(三好勝長?)
①三好清海入道(みよしせいかいにゅうどう?)
正室・木下殿
②三好伊三入道(みよしいさ にゅうどう?)